日野原重明 食事はオリーブオイル!!あのよど号ハイジャック事件に遭遇して以降残りの人生を考える。


聖路加国際病院名誉院長の日野原重明が105歳で死去されました。いつですか?という質問をされている方が多いです。死去されたので2017年7月18日午前6時33分です。105歳のお亡くなりになるまで生涯現役医者を貫きとおした食事の秘密を調べてみました。

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日野原重明先生の毎朝の食事はオリーブオイル

 

日野原重明先生は食事や日々の生活スタイルが健康の為に最も重要な要素だと最後まで言い続けた医者です。「生活習慣病」という言葉の生みの親でもあります。そして一番重要なことは、それを105歳まで生きて体現してみせた事です。

 

日野原重明先生は、毎朝の食事はスプーン一杯のオリーブオイルをオレンジジュースの入れて飲んでいたそうです。オレンジジュースの他にも、果物のジュース、果汁にエキストラバージンオリーブオイルを入れて飲むのを基本としていました。

 

オリーブオイルは、体内の悪玉コレステロールを減らしつつも、善玉コレステロールは減らさないという作用を持っています。心疾患、胃潰瘍を予防し、尚且つ美肌にも効果があります。要するに腸内環境を良くする働きをするという事です。

 

また日野原重明先生が朝食として摂っていたのは、大豆シチレンを意識して食事をしていました。大豆シチレンは脳の細胞を活性化させて、いききした生活をする事が出来るのと、長い間摂取すれば認知症の予防にもつながるとされています。大豆シチレンは牛乳や豆乳と一緒に飲むのが最も体に吸収されやすいそうなので日野原重明先生もそうやって飲んでいたそうです。

 

 

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日野原重明先生はよど号ハイジャック事件に遭遇していた

 

105歳まで生きた日野原重明先生ですが、ここまで「名医」と呼ばれるようになったのは、医者としても人としてもとても印象深い経歴があるからだと思っています。ですので、ここで日野原重明先生の経歴を振り返ってみましょう。

生年月日:1911年10月4日(明治44年)
年齢:105歳(2017年7月18日死去)
出身地:山口県山口市
家族構成:妻・静子さん(享年93歳)、息子3人
宗教:キリスト教
最終学歴:京都帝国大学(京都大学)医学部卒業

 

大学卒業後に京都帝国大学医学部の三内科副手として2年間働き、その後1941年(昭和16年)から、聖路加国際病院に内科医として勤務し始めました。その後、様々な大学や医療機関、研究機関等のセンター長、所長を歴任しています。最後は聖路加国際病院の名誉院長として現役の医者として生涯を終えました。

 

ここまでの経歴の中で日野原重明先生の考えや医者としての向き合い方を変えた出来事は二つあります。一つはなんと、あの”よど号ハイジャック事件”です。

 

よど号ハイジャック事件は、「赤軍派」の大学生を中心とした犯人グループが北朝鮮への亡命を訴えてJALのよど号をハイジャックした事件です。幸いにも一人も犠牲者を出さずに帰還した当時としては大きな注目を浴び、外交的にもインパクトのあるこのハイジャック機に日野原重明先生は乗客として搭乗していたのです。

 

国内の学会に参加する為に他にもたくさんの医者が搭乗していたという事でした。

 

日野原重明先生自身に怪我もありませんでした。しかしながら、常に死と隣合わせの状況にあったことや、犯人グループにも思いや理念があってやっていることなど、気付かされた事があり、この事件をきっかけとして、”これからの人生は他の人が長く、強く生きられるようにささげる”という決意をされたようです。

 

当時のよど号ハイジャックを企てた赤軍派グループの犯人の一人で北朝鮮に亡命した若林盛亮容疑者(70)は、日野原先生の死去の速報に、

「われわれの思い上がりを気付かせてくれた恩人。できれば会って直接、おわびしたかった」

 

と産経新聞の取材に応えています。

 

よど号ハイジャック事件は当時の政治不安などもあり、最終的には飛行機の中で犯人グループと乗客が生きる為に一致団結するような場面があったことでも有名です。

 

 

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日野原重明先生 妻の認知症に向き合って

 

もうひとつ、日野原先生の医者としての向き合い方を変えた出来事は妻の静子さんの死です。日野原先生は静子さんを2013年に無くしています。享年93歳でした。静子さんは10年以上も認知症と闘っていたそうです。その病床に寄り添いながら、日野原先生は、

どうすれば彼女に感謝の心を伝えることができるのか。
彼女は果たして解ってくれているのだろうか。
そんなことを考えながら、近寄ってくる死の足音に心を揺さぶられている。

 

と、静子さんが自分の前からいなくなってしまう恐怖に打ちのめされそうになっていたと語っています。それまで多くの人の命を救ってきた名医でも「妻の死」の恐怖はとても怖かったと思います。妻を無くして以来は、新老人会という会で若さを保つために常に新しい事にチャレンジする事の大切さを説いています。

 

 

さいごに

 

日野原先生の息子さんは医者をされているようです。聖路加国際病院で部長職についておられるようです。日野原重明先生がお亡くなりになられたあと、息子さんが意思を継いで、これからも多くの人の命を救ってくれるのでしょうね。

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