羽田孜が死去 原因は何だったの?首相在任期間は歴代最短。しかし、残したものは多く、貴重だった。

2017年8月27日、1994年に首相まで務めた羽田孜が死去したとの訃報がありましたね。原因は何だったのでしょうか?病気でしょうか?色々と気になったので調べてみました。



スポンサーリンク




羽田孜が死去 原因は何だったの?

羽田孜さんが2017年8月27日に亡くなった事が分かりましたね。

私自身、この羽田孜の孫にあたる人物と大学時代に交流がありましたので、なんとなく感慨深いです。

政治家の家庭ですので、すこし付き合うのに躊躇した部分もありましたが、全く嫌味な感じも無かったことをいまでも思い出します。

この羽田孜の死去の原因ですが、先ほどテレビのニュースで「老衰の為」ということで報道がありました。

享年82歳という事で、まだまだ若いエネルギッシュな政治家でしたので残念です。

最近、地方も中央も政治家の不祥事、不倫などが多くて「世の中本当に大丈夫なのか!?」と思うような事が多いですね。

羽田さんはこんな状況をどう見ていたのでしょうか?

既に政界を引退されて今年で5年ほど経ちましたが、現役時代はどんな政治活動をされていたのでしょうか?

首相まで勤め上げた政界の大御所です。

世代的にまだまだ知らない方も多いと思いますので生前の活動を振り返ってみたいと思います。

現在の政治組織の土台を作り上げたといっても過言では無い人物ですから。


スポンサーリンク




羽田孜が成し遂げた功績 短命政権と言われて。

まずは羽田孜の簡単なプロフィールから見ていきましょう↓

名前:羽田孜
生年月日:2017年8月28日(満82歳没)
出身地:東京都大田区
最終学歴:成城大学
(現職:民主党長野県連名誉顧問)
所属政党:
自由民主党→新生党→新進党→太陽党→民政党→民主党
衆議院初当選:1969年(昭和44年)12月

大学卒業時は新聞社などの入社試験を受けたようですが全滅。

父親の子コネで小田急バスに入社後、観光課に配属され旅行の企画などを行うというのが社会人のスタートだったようです。

その後、全く政治家になるつもりは無かったものの、父親の武嗣郎が脳出血で倒れ、後援会の強い打診があって衆議院選挙に立候補し、見事当選。(初選挙は旧長野2区からの出馬)

その後、自民党では佐藤栄作会派に所属したのちに、田中角栄会派に移り、農林族としてのキャリアを歩むこととなります。

職歴としては、

郵政政務次官

農林政務次官

衆議院農林水産委員長

自民党林政調査会長

総合農政調査会長

となっており、同じ自民党の加藤紘一などとともに、「総合農政族」と呼ばれました。

その後、紆余曲折を経て、田中派を離脱し、竹下派へ移る事になります。

竹下派七奉行の一人として、ここでも類まれな政治家としての手腕を振るうことになります。

竹下登が内閣総理大臣の職に就くと、羽田は農林水産大臣に任命されました。

ここから組閣する際は、羽田孜の名前はかなり高い確率で閣僚に名を連ねることとなります。

その後さらに、竹下派との分裂劇もあり自らの羽田派を結成し小沢氏と連携して政治改革推進派のリーダー格となりました。

そしてついに、非自民の細川護熙内閣の副総理兼外相を務め、細川氏の首相辞任後の94年4月に首相に就くことになりますが、連立を組んでいた旧社会党が離脱する形となり、自民党の内閣不信任案を受けて総辞職となりました。

首相在任期間はわずか64日間でした。

この事を単純に短命政権と呼ぶ方もいらっしゃいますが、正直なところ、ここまで精力的に新しい政治の仕組み作りをした人がこれまでにいたでしょうか?

佐藤栄作か田中角栄ぐらいだと思います。

その後も新しい政党の立ち上げを行い、現在の民主党の土台をつくることとなります。

こういった政治家がいまの政治の世界にいない事自体が個人的には問題だと思います。

そもそも金の事しか考えていない政治家しかいない事が。。。

不倫してる暇があるなら勉強して欲しいと思います。


スポンサーリンク




Twitterでは記事の更新情報をお知らせしています!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。